いろいろな葬儀の形、ミュージシャンの葬儀

忌野清志郎の葬儀

日本の「ミスターロックンロール」。忌野清志郎は「RCサクセション」「The Timers」、そして数々のミュージシャンとのコラボレーションで日本のロックに多大なる貢献をしました。
 
その歌詞の内容から、テレビ、ラジオ局から度々放送禁止処分を受けましたが、持ち前の(というか、それを楽しんでいるように見えた)反骨精神で、彼らをあざ笑うかのように(ブラック)ユーモアたっぷりに対応する姿は、死ぬまで変わらなかったと思います。
 
2006年に喉頭がんを患って音楽活動を休止。がんを摘出することで声を失う可能性が高かったため、他の方法で完治を目指しましたが、約2年後にはがんの転移が発覚しました。それでも飛び入りでライブに出演するなど、音楽活動は続けていましたが、2009年5月2日、癌性リンパ管症のため息を引き取りました。58歳でした。
 
5月4日に関係者だけで密葬が行われた後、5月9日には「忌野清志郎 AOTYAMA ROCK’N ROLL SHOW」と題した「ロック葬」が行われました。この前代未聞の「ロック葬」を訪れた弔問客は約4万3000人を数え、X JAPANのhideに次ぐ参列者を集めたことになります。
 
会場では、
 
本日は忌野清志郎青山ロックンロールショーにお越しいただき、ありがとうございます
 
というアナウンスが流され、ファンらは「清志郎らしい」最期に歓喜しました。
 
祭壇は清志郎がこれから最期のステージに上るイメージ。カラフルに花とキャンドルで飾られました。
 
葬儀は「ロック葬」らしく演奏で始まります。ライブ感満点!MCが葬儀を盛り上げます。
 
キング!ゴッド!FOREVER忌野!
 
かつて、このような葬儀があったのでしょうか?
 
出席者全員で黙祷を捧げた後は、代表による弔辞です。どの弔辞も素晴らしいものだったのですが、甲本ヒロト(クロマニヨンズ)さんの弔辞から一部を紹介します。
 
キヨシロー。えー、清志郎、あなたとの思い出に、ろくなものはございません。突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり、なんだか吹きにくいキーのハーモニカを吹かせてみたり。レコーディングの作業中には、トンチンカンなアドバイスばっかり連発するもんで、レコーディングが滞り、そのたびにわれわれは、聞こえないふりをするのが必死でした。
でも、今思えば、ぜんぶ冗談だったんだよな。今日も、「キヨシローどんな格好してた?」って知り合いに聞いたら、「ステージ衣装のままで寝転がってたよ」って言うもんだから、「そうか、じゃあ俺も革ジャン着ていくか」と思って着たら、なんか浮いてるし。清志郎の真似をすれば浮くのは当然で、でもあなたは、ステージの上はすごく似合ってたよ。ステージの上の人だったんだな。
中略
一生忘れないよ。短いかもしれないけど、一生忘れない。ほんで、ありがとうを言いに来たんです。数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。はは……。今日もそうだよ、ひどいよ、この冗談は……。
うん。なるべく笑うよ。そんでね、ありがとうを言いに来ました。清志郎、ありがとう。それから後ろ向きになっちゃってるけど、清志郎を支えてくれたスタッフのみなさん、それから家族のみなさん、親族のみなさん、友人のみなさん、最高のロックンロールを支えてくれたみなさん、どうもありがとう。どうもありがとう。
で、あとひとつ残るのは、今日もたくさん外で待っている、あなたのファンです。彼らにありがとうは、僕は言いません。僕もそのひとりだからです。それはあなたが言ってください。どうもありがとう! ありがとう!
 
弔辞の後も仲間達によるライブは続いたそうです。
忌野清志郎らしい「ロック葬」。こんな葬儀をできる人は清志郎だけでしょう。
 
参考
尾崎豊 追悼式 / 1992.4.30
https://blog.goo.ne.jp/mk1_1978/e/39f2ccca527a7cf3a26c28f95ff75639
 
忌野清志郎(弔辞の全文):POP-ID通信。
https://popid.exblog.jp/11501810/
 

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